(1)記録

出典:山岳・1984 日本人による遠征・登攀ノート 編集委員会編 (page 44〜45)

出典:Himalayan Database
(2)報道
北海道新聞1983年10月?日の切り抜きが手元にありました。

運営者への第一報(本人不在)は一年先輩のF氏からの電話、職場寮の伝言メモには、10月10日0:20とあることから、新聞記事は10月11日と思われます。
(3)登攀ルートの概要
高松高校山岳部 岳樺No.26号に掲載されれいるルート全体図を参考に、Google Earth、QGISで表示、K隊員に修正してもらいました。
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1)南西壁ルート全体図(出典:高松高校山岳部 岳樺No.26号)写真左の岩壁名は管理人が追記しました。事故現場は6,300m、安置は6,100mと記されています。
南西壁を説明するため、Himalchuli西峰の上部から頂上岩壁、上部岩壁、中央岩壁、下部岩壁と呼ぶことにします。事故は中央岩壁の左で発生し、二人は中央岩壁の左下懸垂氷河のクレパス上に眠っています。

2)Google Earth の俯瞰(南から北方面) Google Earthは、Google社の標高入力ミス?により、ヒマルチュリ山頂付近やマナスル周辺が陥没状態となっています。ポイント地点も立体表示を平面画像としたため等高線とズレています。
Google Earthファイルのダウンロード

3)ルート平面図-1 QGISを使用し、Google Maps上に衛星大地のDSMデータを重ね、想定ルートを表示しました。等高線は100m間隔です。

4)ルート平面図-2 3)からGoogle Maps(画像)を削除、等高線は100m間隔となっています。