2 Himalchuli山塊の概要

(1)Himalchuli山塊

 Himalchuli山塊は、Himalayas山脈の中央に位置するManasuru山群の主峰Manasuruの南に位置する。下図のManasuruから南東に伸びるラインが分岐する所がHimalchuli主峰となる。

 主峰の他、北峰、西峰がある。

出典:The Himalaya by the Numbers

(2)登山史

 初めてヒマルチュリを登山対象として偵察したのは、英国のティルマン(1950年)である。アンナプルナⅣ峰を試登した後、カトマンズからの往路での観察から、復路では南西尾根からMeme Pokhari に至り、偵察を行っている。(ヒマラヤの高峰 Ⅰ / 深田久弥)

 ティルマンは、南西尾根末端の北側にあるUstaから取り付き、Bara Pokhari からは北側を辿り南西尾根に戻ってからは古い巡礼道に沿ってMeme Pokhari に至った。偵察では、尖峰だった印象が、頂上に続く平らな稜線を見て残念に思ったようだが、下部のアイスフォール(南西壁側)の危険性を指摘している。(ネパール・ヒマラヤ/ ティルマン 深田久彌訳)

 ティルマンの偵察情報もあり、1953年、1955年に英国が登山隊を送っている。その後は、日本隊が続き、1960年5隊目となる慶応大学ヒマラヤ登山隊が南西面から初登頂している。2023年まで26隊の登山隊が入山しているが、7隊しか登頂(27名)に成功していない。香川県勤労者山岳連盟隊は18隊目となる。2023年まで、11隊で13名の方が亡くなっており、登頂隊でも4隊、5名の方が亡くなっている。登頂隊数/登山隊数=7/26=27%、無事故登頂隊数/登山隊数=3/26=12%、事故登山隊/登山隊数=11/26=42%となる。他の事例と比較はしていないが、難易度は高い部類と思われることから近年は登山対象になっていない。

ヒマルチュリ登山隊(2023年まで)

出典:Himalayan Database

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