10月11日にKathmanduを発ち、10月16日にMeme Pokhariの湖畔、10月20日に出発地点でもあるHiletakserのキャンプ場に追悼プレートを設置し、道中を含め二人の追悼を行って来ました。皆様の想いとともに歩き、長年の想いを果たすことができました。画像をクリックすれば、拡大表示することができます。
10月13日朝、C2からのHimalchuli(望遠)、西峰の頂上岩壁下方の岩壁帯左下、6,100m地点に彼らは眠る。1983年とは積雪の状態も異なると思われる。
10月15日夜 C5から月光に照らされるHimalchuliの姿を眺めた。しかし、ここからは、彼らの眠る場所を見ることは出来なかった。
10月16日 早朝、C5からMeme Pokhari(4,430m)に到着、ここからは彼らの場所を望むことができる。湖面は、プレート設置の数分間のみ静寂を保ち、その後、小さく波立ち、山霧に覆われていった。
Meme Pokhariの南岸、巡礼者の痕跡がない場所に、彼らに向けてプレートを設置した。
10月20日 C1、C9となるHiletakserのCampsite(ここまでは、車で来ることができる)にもプレートを仮設置(Campsiteの管理人に基礎整備を依頼)し、最後の追悼を行った。残念ながら出発時には見えたHimalchuliは厚い雲の中。
前列左から、Chandra・Subba・Gurung(Campsite管理人)、Lakpa・Sherpa(kitchen)、Raju・Gurung(統括guide)、Pernba・Sherpa(kitchen)、Omote・Japan、Prem・Gurung(porter)、Kaji・Sherpa(porter頭)、後列左から、Kibi・Rai(porter)、Chandra・Rai(porter)、Maiti・Gurung(Omote専属guide)、Jangbu・Sherpa(kitchen頭)、Sagar・Gurung(porter)
もう一人、重要な役割を果たしてくれた地元guideのSubhas・Tamang、前日に帰宅のため、集合写真には入らず。今回のトレッキングでは1パーティにも遭遇せず。会ったのは、カルカの管理人と薬草採取の地元民のみだった。皆、彼の知人であった。山里から森林、草原、高山帯とヒマラヤに残る数少ない古典的なトレッキングが体験できる美しい場所でもある。
10月20日、Dordi rural municipality Lamjung Nepalの首長、Yuba Raj Adhikari氏を訪問、当初の訪問日がダサインのお祭りのため、下山後のプレート設置の事後申請にも快諾を頂いた。これで、追悼プレートは地元にも認知されたことになる。Yuba Raj Adhikari氏は、保津川等でラフティングのガイドをされていた経験もあり、役場を訪れた初めての外国人となんと日本語で会話、周囲は何を話しているか分からない中、沢山の話をさせて頂いた。
表さん、無事ご帰国、お疲れ様でした。いろいろご準備も大変だったと思います。丁寧なご報告、ありがとうございました。
まだKathmandu近郊のSankhuに滞在しています。樋口君(アルン川上流ホンゴンに滞在)とも1ヶ月ぶりに連絡できました。11月後半からランタン方面へ行く彼らに同行するか検討しています。