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追悼       43年度卒  早坂洋子

 新聞紙上で、 長谷君の遭難を知った時、 信じられない、 信じたくない気持で一杯でした。 それでも断片的に入ってくるNews で、 その事実が動かし難いものになっていきました。 長谷君とは、徳繁君の追悼登山以来会っていなくて記憶も随分懐しいものばかりです。 目の前に髪を不動明王の如く逆立てた彼が、風の中に、 陽の光の中に、 元気一杯立っているのです。

 いつも元気にあふれた、そして可愛いいところのある人でした。 いつもフッと想い出すのが、 或る年の新人歓迎登山での事。 所は勿論竜王山頂。 月が明るく輝いていました。 彼が恒例のエール、歌を指導して少し雑談していた時、 彼は槇田君達にゴロニャンと甘えてふざけていたのですが、 パッと後ろを振り向き様、新人を締めていたのです。 私はその切り替えのあまりの美事さ、 天真爛漫さに感心してしまいました。 今でも昨日の事の様に鮮かによみがえります。

 その後、 岳樺誌上で、 風の便りで、彼の成長ぶりや、 近年の華々しい活躍を、 楽しみにしていました。今度の様な結果になり、残念でなりません。 いくら憧憬のヒマラヤで逝ったとはいえ、あまりに若すぎあまりに悼しいという思いが胸を去りません。

 彼が青春の一時期を過ごした北の地で、 心から御冥福を祈ります。

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