今年10月6日で長谷が亡くなってから40年になる。現地へ行きたいと考えているが、マナスル山域は個人トレッキングが出来ないため、許可申請、ガイド同行が必要となる。山域南西部のためBCに近づける既成ツアーも無い。既成ツアーは山域北側、よってBCへ行けるかどうかもまだわからない。
現地へ行くことに何の意味があるのか?単なる自己満足ではないのか?そうです。自分は単に長谷が眠る近くへ行き、これまでこれなかったことを詫びたいだけです。
まだ皆さんは、勤務継続、航空運賃高騰、円安など条件的には不利だと思いますが、動ける時に行っておきたい。山岳部の100年記念事業よりも、自分には大事だと思っている。
カトマンズ集合、現地解散(BCから戻る、他山域へ)で計画した場合、参加希望はありますか?この山域の情報(詳しい個人、良いガイド社、宿など)があれば教えて下さい。
表 雅英
トレッキング情報は手に入ると思う。今 アメリカに出張中なので6月に帰ってから連絡とってみます。どうせ行くなら楽しめるイベントにした方がいいと思う。
そうですね。ヒマルチュリの遭難は1983年なので今年は41年目か。
トレッキングは行ける人が行くとして、別途、その報告を兼ねて多くの人が参加できる場を設けるのはどうでしょうか。
100周年記念事業は単なる祝賀ではなく、AACH全体としての追悼の意味合いを含むものと思います。
現在、過去の山行記録をデータベースにまとめる作業をしているのですが、わずかな期間に部の主力を失った部報7号や、多くの戦死者を含む25名を追悼する部報8号を読むと、多くの世代が若くして亡くなった仲間への思いを抱えてその後を生きてきたことが痛感されます。
連絡、ありがとう。
メールで久しぶりにみんなと繋がって嬉しいです。これも長谷のおかげだね。
追悼のトレッキングにはいけないけど、皆と集まって語り合う機会でもあればいいね。
ご連絡ありがとうございます。
長谷さん、原さん、宮井さんと、高松高校のメンバーを多く無くしましたね。
長谷さん隊のリーダーの方は、歯科医さんではなかったかと思います。少数精鋭というか、そのリーダーの方が大人数を好まないセンスだった印象でした。
追悼については別途ご返事します。
行きたいとは思うけれど、10月はすでに予定を入れてしまいました。
日程によっては参加できるかもしれません。
記憶がはっきりしませんが、ダウラギリに5人パーティで遠征された次の年に亡くなったはずです。千葉の自宅には報告書があるかもしれませんが、怪しいです。長谷さんが遠征前に行く前に四国を訪ねて会ったので、話をしました。
ダウラギリ遠征は5人パーティで、うち二人が明大山岳部若手OBで実力者。この二人が登頂、長谷さんは途中まで(高所順応できなかった)。ヒマルチュリ峰は確か4人パーティで、この明大の精鋭が参加できないので、少し力量が落ちるようなことを行く前に言われてました。かといって、不安がある中で行ったということではないです(結果論なので)。
私は長谷さんが亡くなった後に実家にお線香をあげに伺いましたが、山にすべてをかけた長谷さんについてはご両親もあまりよく思っておられず(まだまだ残念な気持ちが残っていた?)。髪の毛だけが帰国したことを拝見し、拝ませてただいて、複雑な思いがしたことをおぼろげながら記憶しています。
二つの遠征ともリーダーをされたのが歯科医の先生で、お名前は忘れましたが、中退後の長谷さんはこの方を頼り遠征されてました。県岳連とかいっても、実質はこのリーダーのパーティのような印象だったと思います。小人数のパーティなので。
今回のご提案について。私個人の事情からいうと、現地遠征に参加することは難しいです。(まだ、自分の人生で整理できていないことが多いといいますか…)企画への意見としては、思いのある個々の方での賛同を募る感じですよね。私にできることがあれば、お声掛けください。
表さんのお声がけ、ご期待に沿えきれないかもしれませんが、まず私が知っているところをお伝えしました。
リーダーの金沢健さんは、2010年に亡くなられていることを昨日、知人(山岳部外)から教えてもらいました。金沢さんの奥さんも今年3月に亡くなったそうです。金沢さんの二男さんは高松市にいらっしゃるそうですが、詳細をお聞きすることはできません。現地エージェントの名前も分かりました。
長谷のご両親について何か知っていますか?
ノマドの社長に頼まれてアメリカ南部をレンタカーで横断してます。マルシャンディ川はヒムルンの時もメジャーなトレッキングルートだったので何とかなると思います