1 私のクライミングパートナー(ジムでの)WECトレックの貫田さんにトレッキングについて調べてもらっています。何らかの返事をもらったら連絡します。
2 貫田氏からの第一報です。
たぶんBCは、南西陵の氷河近く3800mと思われるので、キャラバンはポカラ、ベシサハール経由でしょう。入域制限なんぞないと思いますが、カトマンズに問い合わせます。しばしお待ちください。
香川県勤労者山岳連盟隊ですね。正式な隊長は Hisatoshi Takabayashi
現地オペレーターは今は無きコスモトレックでした。
3 貫田さんが調べてくれた事故の様子です。
コスモの大津夫人がエリザベスホーリーさんに事故の内容を報告しています。原文は英語。
1983年10月10日
9月30日以降は悪天候(雪と雪崩の危険)のため、全員C1に入った。10月6日、C3を目指して藤田、長谷、金沢、森里の4名が個人装備を担いでC3に向かい、他の4名は5~6日後の第1回登頂アタックに備え、シェルパ2名とともにBCで休養し、食料とテントを担いでサポートした。
第1チームは平坦な6300m地点に到着。午前9時10分、メンバーの一人が滑落。全員がロープを張っていたので、彼が自分で止まるかと思ったが、止まらず、他のメンバーを引っ張った(安全な場所に見えたので、強いビレイではなかった)。4人とも200m滑落。長谷は午前9時15分、藤田は午後5時、テントの中で死亡。
金沢は怪我をしていて藤田が死んだところから降りられなかったが、森里は10月7日にC2に降り、10月9日にヘリコプターがC1に行き、金沢を避難させた。
以下毛利
ホーリーさんはもう亡くなりましたがカトマンズ在住の記者でネパールヒマラヤの登山隊を詳しく取材していた記者で私も何度もお会いしました。
4 貫田氏よりのコメントです。
ベースキャンプはたぶんヒマルチュリ南面のDordi Khola 3800m付近ではないでしょうか?普通のトレッキング許可で立ち入ることができるかと思いますが、現在水力発電工事のために一般車両の立ち入りが制限されているかもしれません。そこらを今日調べてもらいますが、毛利さんの方でBCの位置を確認してもらえませんか?遭難報告書などないのでしょうか?そこに概略図が掲載されていれば、ある程度の事はわかるかと。
カトマンズからマルシャンディ河のDordi Khola出合いまで車で5時間くらいです。大昔はキャラバンに2週間くらいかかっていたかもしれませんが、たぶん今は水力発電工事の道路が奥までできていると思います。
昨年訪れたミヤグディ・コーラのダウラギリ縦走隊BCも、1979年当時はポカラから2週間もかかりましたが、いまや水力発電工事の道を使い、BC手前3日のところまで車で入れました。
表の作成した地図を貫田さんに見せようと思います。
BCから谷沿いに2、3km下流Sandip Trout Farm(3400m)なる施設がありました。もしここまで車で入れればBCまで1日で行けます。貫田さんが電話してくださいましたが応答ありませんでした。
水力発電工事事務所も応答なしということで(日曜だから?)また電話していただきます。
毛利、有難う。昨日、森田さんのおかげで遭難報告書が手元にある。(慶応OBからの蔵書にあった)BCへはDordi Kholaの左岸部を通っている。BCは1981日大隊と同じ(ポーター発言)、3800m地点となっている。 メンバー表の電話番号に連絡しているが、番号が変更となっている。通じたのは2箇所のみだが、遭難時以降の追悼に関する情報はまだ得ていない。