7.3.7

巡礼報告

7.3.7 帰路を辿る

10月17日 Meme Pokhari→Positu C7(EL 3,750m)

 C6朝、上空を覆う雲により放射冷却が妨げられたため、テントの霜は昨日よりも少なかった。前日、私はRajuと今日の行程を話し、Meme Pokhariでの追悼の目的は果たしたが、彼らの眠る場所を見る事はできなかったので、Meme Pokhari北側の丘から東へと伸びる尾根筋まで行き、南西壁全体とBCを望んでから降る予定としていた。しかし、山腹にまとわり付く雲がその目論みを拒み、晴れる気配すら見せなかった。計画検討時は、Meme PokhariからBCを往復することも考えており、900m降って300m登るので、BCに泊まれば程よい行程となるが、さらに2日間必要となる。毛利情報では道はあるようだったが、Rajuからは大きな地滑りがあり通行はできないとのことだった。後日、Kathmanduで入手したトレッキングマップには繋ぐ道が記載されていたが、Subasに状況を確認するのを忘れてしまった。

 一日の予備日を残していたが、無人の奥地故、神々の領域から俗人界への帰路を辿ることとした。湖畔に滞在したTilmanの帰路は巡礼路を採ったとあり、詳しい記述はないが、多分、私と同じ道を辿ったのだろう。時折、雲間から岩と雪の山肌を現しては隠れるHimalchuliを振り返っては、二人を捜しながら歩いた。C4からC5へ向かう時は霧で全く視界が無かったが、C6からの帰路、最初の支尾根を回り込んだ時、上と下の雲の間から、南西壁の上半を望むことができた。そこは丁度、二人が眠っている場所でもあった。懸垂氷河の下端にある下部岸壁帯の一部も見える。快晴のMeme Pokhariからは見ることの出来なかった姿だった。頂きは流れる雲の中のままだったが、Himalchuliの神は哀れな巡礼者に小さな思し召しを与えてくれた。しばしの休憩をRajuに宣言し、状況をカメラに記録し改めて手を合わせて祈った。そして、少し軽くなった気持ちでザックを背負い、一歩、一歩、二人との間を隔てていった。

Photo701 C6を後にしてしばらく歩くと、雲が薄くなり始めた

Photo702 頂上は見えないが、南西壁が姿を現す

Photo703 Himalchuli南西壁を改めて凝視する。中央の岩壁帯の左端下に二人は眠る。氷河の流れを揺り籠にして、Himalchuliの神はしばらくは二人を抱き続ける。

 往路で少し緊張した岩場ではSubasとJangbuが待っていてくれた。そこから先は再び視界が効かず、小さな石の道標を頼りに降る。支尾根をいくつか回り込みながら、C4と同じ場所のC7を目指す。C7へ降る手前、C4宿泊時にSubasuが泊まった石壁だけのカルカを過ぎる。枯れ草にうずくまって寝てたのだろうか。たいしたものだ。3日前に泊まったカルカは、我々よりも少し前に到着した近隣の薬草取りをする若者達が占有しており、さらに降った別のカルカをC7とし、遅い昼食の後はまた焚き火を囲んだ。

Photo704 すっかり様になってきた新人ポーター

Photo705 C7は雲の下、風の音は聞こえない

Photo706 カルカは牧童用と山羊や羊用の小屋

Photo707 この炊飯ジャーがたちまち空になってしまう

Photo708 やはり4,000mは寒かった

Photo709 南からの温かい風は雲をつくり続ける。

10月18日 Positu→Naange Danda手前 C8(EL 3,050m)

 C7から起伏の少ない巡礼道をKomro Dandaまで戻って来たが、来た時と同様にHimalchuliの展望は得られなかった。Rajuと顔を見合わせ、この場所のプレート設置は諦める。

Photo710 慌ただしい出発前のカルカ、荷は軽くなった

Photo711 茶色の尾根道、積雪はそれほど多くは無いのだろう

Photo712 Ngadi Chuliの頂上付近は強風に雪が舞うManasluには舞う雪すらないのか

Photo713 強風のHimalchuli、中央岩壁も見通せない

 樹林限界の上となるChyarbo Dandaの草原で昼食、最奥の有人カルカでは二人の男達が降る準備をしていた。風が通る草原の中、皆が動いている中で一人座っていると体が冷えてくる。ボンチョを被って寒さをしのいだ。登る時も居たカルカの番犬が二匹、ラプラドールに外見も性格もも似ている。かわいい奴らだ。

Photo714 Chyarbo Dandaの野外キッチンと昼食、ダル・バート・タルカリ(ネワールでは、ザー・キン・タルカリ)これが一番合う

Photo715 草原を風が吹き抜ける。陽が欲しい。

 樹林帯の標高となり、Baraha Pokhariを過ぎ、Naange Dandaの手前の有人のカルカをC8とした。標高はまだ3,000mを示す。夕刻前に少し巡礼路を戻り、高台からHimalchuliを望むが、その先のBahara Pokhari Lekが下部の視界を遮っていた。TilmanはUstaへ降る最後の夜をこの尾根の放牧地で過ごし、好天に恵まれた美しい日没を記している。我々にとって尾根での最後の夜、3日目から毎日続く焚き火は、太い倒木を利用した盛大なものとなった。Annaprna山群は雲に覆われていたが、木々の背景に聳えるNgadi Chuli は次第に赤く染まった後、月が昇る前の漆黒に沈んでいった。そうして静かに二人への「送り火」を眺め続けながら、私は、長谷と過ごした札内川六の沢の盛大な焚き火を思い出していた。シェルパ達は、火の神にささげる燻煙材の採取を忘れなかった。

Photo716 Bara Pokhariまで戻ったが、水場がある所まで降るとする。

Photo717 Nomrodhu DandaのC7、羊付き

Photo718 C7奥のHimalchuli、二人を雲が遮る

Photo719 燃えるNgadi Chuli、この山の登頂者も少ない

Photo720 Bara Pokhari Lek最後の夜を盛大な焚き火と過ごした

10月19日 Naange Danda手前→ Taksar村 C9(EL 1,600m)

 山の草も少なくなり、もうすぐ里へと降りる羊達に囲まれて過ごしたC8を撤収する。起きてから昨日の高台へもう一度行くが、Himalchuliは雲の中だった。ポーター達の軽くなった足取りは、重量がほぼ変わらない私を尻目に出発地へと急ぐ。Khupruでトイレ・テントを回収し、Baraha Pokhari Lekと別れ、Tskar村へと古道を辿る。TilmanがUsta村へ降った道はさらに先のChtre Dandaから分岐している。

Photo721 C7からの下降路をいずれ山羊や羊達も辿ることだろう

Photo722 展望が効かないPoni DandaでBara Pokhari Lekと別れる

Photo723 最小限の荷物しか必要としないSubasu、生きる知恵がある

Photo724 森は良い。何よりも命が沢山ある。

Photo725 往路と同じ場所で昼食、手慣れた野外レストラン

Photo726 ダル・バート・タルカリ、最高

 帰路、Subhas家族に今回のお礼がしたくなり、RajuとSubhasに頼んで寄り道して訪問させてもらうことにした。Kathmandu出発の1週間程前、Rajuから現地ガイドがTiharの関係で出発を遅らせたいと言っていると聞いた。私は、満月のHimalchliを見たいがため予定通りの行程を伝えた。そんな客に対してもSubhasは一生懸命に役割を果たしてくれた。Tiharを楽しめなかった家族へも侘びたいと思った。Indiaの出稼ぎ仕事が嫌で故郷の暮らしを求めて帰ってきた彼は、細身で足が早く、寝袋、テント無しでも山で過ごせる超人だ。カルカの羊飼いとも親しく、水場にも詳しい。何よりも山の暮らしが好きなようだった。Meme Pokhariは10回目位らしかったが、彼なしでは今回の巡礼は果たせなかった。Taskar村に入ってから、森の小道を小一時間ほど降った先にタマン族の小さな暮らしがあった。近隣の女性達と子供が留守番だったようだが、村を訪れる異人を興味深そうに眺めている。縁側のような土間と居室が続く質素な暮らし、それでも居室のベッドに寝転びスマホに夢中な息子も居て、土間の生活と世界標準が共生していた。青いグァバを頂きながら奥さんに「Indiaで働いていた時よりも収入は減ったのでは無いですか」と聞くと、笑いながら「そうですね」と応えたが、Subhasの選んだ暮らしをしっかりと支えているようだった。厚かましくも二人の馴れ初めなんか聞きながら、並んで睦まじく座る二人を見ているだけで気持ちが和んだ。「これは、奥さんへの感謝です」とSubhasには渡らないようにお礼を渡した。奥さんは突然のことに困惑したようだった。土間からは、泣き出しそうな空と小さくなったHimaichuliの南西壁が見えた。Meme Pokhariの湖畔で一緒にプレートを貼り付けてくれたSubhasは、村人達にそのことを語ってくれるだろう。

Photo727 Taskbar村が見えてきた

Photo728 村から小一時間ほど降りた山間にSubasの住居があった。愛妻にお礼する。

 登り返しはSubhasに荷物を託し、小雨に濡れるTaksar村C9へと急ぐ。途中の最奥商店の向かいに宿の屋根には見慣れた三角槍のモニュメントが飾られていた。Rajuに三角槍の由来を尋ねると、トリスルの物語を語ってくれた。もう一度、詳しく聞かねばと思っている内にC9に辿り着いた。多くの人の想いと歩いた巡礼行の無事帰着を感謝する。既着のメンバー達は既に夕食の準備、ご馳走となる先程まで庭先を走っていた鶏は、グルン新人ポーターPremが手際良く処理するが、シェルパ達は宗教上の理由からと言って一切手を出さない。しかし、彼らもしっかりと食べるそうだ。核を否定しつつ、核の傘に安穏とする日本と同じだねと言ってはみるが、果たして意図は通じたものか。Chandra、Kibiはいつも静かに過ごしていた。Rajuと二人でもう一枚のプレートを設置する場所を決めるため、近くの展望塔まで登ってみる。山々は全て雲の中、下に見える急斜面と段々畑、点在する集落とそれらを繋ぐ道、時代の流れの中で彼らの生活もどんどん変わってゆくのだろう。残念ながら良い場所を決めることができなかった。

 カルカの羊飼いと薬草取りの地元民以外とは誰にも出会わなかった静謐な巡礼は、メンバーにとっても印象的な旅となったようだった。巡礼の無事と成就を祝うささやかな夕食会は笑顔に溢れ、私は一人一人にお礼を各人の印象をコメントしながら、感謝を渡した。夕食後にはJangbuが焼いたケーキがキャンプ場の管理人家族ともども喜ばせてくれた。楽しい宴が終われば、Himalchuliに続く地面に体を委ねる最後の夜となった。

Photo729 晩餐会のダル・バート・チキン?この後、巡礼成就のケーキが登場

Photo730 朝の手際良さにはいつも驚かされる

10月20日 Taksar村→Katumandu

 朝からキャンプ場周辺を再度歩き回り、自治体の土地所有の関係から、結局キャンプ場の北端に二つ目のプレートを設置することとした。今度は、Himaichuliを後ろに来訪者側にプレートを向け、キャンプ場造成に使わなかった程よい石に貼り付け、土台部の整地はキャンプ場の管理人Chandraにお願いした。仮設置したプレートを貼り付けた石を皆でキャンプ場に咲くマリーゴールドとコスモスの花を飾り、手を合わせた。

Photo731 左端にキャンプ場管理人のChandra、Himalchuliは姿を見せなかったが、見続けた姿が目に浮かんだ。

 朝から雲に覆われたままのHimaichuliに抱かれ、静かに眠る二人へ「さようなら」を告げる時が来たようだ。再来の約束は口にしないまま、手配した4WDに乗り込み、最後の目的地、Tiharのため入域前にお会いできなかったDourdi rural municipality の首長であるYuba氏を役場に訪ねた。これは、日本を出る前からRajuにお願いをしていたことだった。もし、私の国に外国人が勝手に何かを設置していったら、私はそれを疎ましく思うだろう。その逆をしたくは無かった。

 玄関外で笑顔で待っていてくれた大柄なYuba氏が執務室に案内し、マリーゴールドの花輪を私とRajuの首にかけ、歓迎の意を表してくれた。執務机の横に着座して1984年の香川労山隊の遭難のこと、今回の巡礼とプレートを設置してきたこと伝え、外国人による2箇所のプレート設置への事後承諾をお願いした。Yuba氏は40年前の遭難のことを知っていたようで、プレートの設置を快諾してくれた。当方からは、Meme Pokhariまで一緒に巡礼した温湿度計を渡し、Yuba氏からは木工旋盤で作成したワイン杯をいただいた。Yuba氏からは、今年7月に100人程とMeme Pokhariを巡礼してきたこと、巡礼地として道を整備する計画があることを伺うが、何故彼らが巡礼を続けるのかを聞き忘れてしまった。Yuba氏は、保津川で川下りのガイドを努めていた滞日経験があり、日本語でいろいろと会話ができたのは有り難かったが、最後に同席する役場職員に巡礼の感想を英語で語ることを求められた。恥じることも、飾ることも無く、我々の巡礼目的と二人の冥福を祈った美しい湖が巡礼地としてこれからも守られることをお願いした。この対応も、多くの人の二人への想いが支えてくれたのだろう。Yuba氏がMeme Pokhariを訪れる時は、プレートまで足を運んでくれるかもしれない。

Photo732 Dourdi rural municipality の首長Yuba氏にプレート設置許諾の感謝を伝える

Photo733 municipality の職員達と

 香川労山隊が意気揚々として登り、二人を失い失意と共に降ったであろうDordi khola沿いの道を離れ、Marsyangdi川沿いの街道でTata 4WDからタウンエースに乗り換え、Kathmanduを目指した。途中、若い二人のポーターとは車から降りて握手して別れた。「ありがとう。さようなら。」Kathmanduへは迂回路を利用したので帰着は20時を過ぎ、荷を下ろして解散した。「ありがとう。またいつか会おう。」出発時と同じ宿に送ってもらう。

10月21日 Kathmandu→Sankhu

 宿に来てくれたRajuとカードを食ったATMの銀行店舗へ行き、窓口でカードを回収する。その銀行での換金は断り、別の銀行ATMで換金を試みるが、やはり受け付けず、認証回数によるロックまでかかってしまった。街中の換金屋で円をルビーに換金し、当座の生活費を確保した。Rajuの会社まで二人でいろいろ話しながら歩いた。地方に居たRajuをKathmanduに呼び寄せ、いろいろ世話をしてくれた叔父さんが癌で危篤らしく、辛い顔をしていた。会社で使わなかった荷物を回収し、Trishuli川沿いで買ったバナナを土産にSankhuのSurja宅へとRajuが手配してくれたタクシーで戻った。

7.3.8 巡礼を終えて

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