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1983・秋   48年度卒  槙田次郎

 長谷の死は二俣からの電話で聞いた。 金沢さんが助かったのは何よりであった。 平尾さんと平尾夫人の間にもうすぐ二世が誕生することも同時に聞いた。 複雑な心境であった。 二俣は一人で飲んでいるといった。 私も飲むほかない。 彼のボサボサ頭とあの人なつこい笑顔を思い出した。

 高校卒業以降 長谷とはめったに顔を会わす機会がなかったが、 何か気になる存在であった。 彼の動向について詳しくは知らない。 たまに彼のうわさを聞くたびに山一筋だな”と思っていた。 生活のすべてを山に賭けている迫力を感じた。 のんべんだらりの暮らしをしている私にとって彼は眩しい存在であった

 ふいに、昨年の夏、仕事でインドに赴いたとき、夕刻上空から見た大河の流れを思い出した。 何千年いや何万年前から、ゆったりと休むことなく流れる河である。 悠久ということを見るとすればこの流れのことではないだろうかと考えたことを覚えている。 あの河の源に長谷が眠ることになった。

 百人の人がいる。そこに石を投げる。一人の人に石が当る。 長谷の死はそのようなものであって、それ以上のことを考えてはいけないと私は自分に言いきかせるようにした。そうでなければ頑健で人の良い長谷の死の納得ができない。

 それは同期であった徳繁に対しても同じである。もう少し長く付き合いたかったと思う。お互いに年を取るのをみたかったと思う。

 今後、彼が眠る山をみることは、残念ながらないだろう。しかし、今度インドへ行ったときにはあの河の流れの傍に立ってみようと思う。 そして長谷のことを考えてみたい。

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