長谷へ 48年度卒 二俣勇司
今年8月24日~28日信州へ行った。 塩尻に一泊、 信大思誠寮 (松本) に二泊 乗鞍山麓信大ヒュッテ一泊 上高地にも入らず終った。
前略、またまた金沢さんにひっついて、ヒマルチュリに来ています。 今度は、山も低いし、てっぺんに行って来ます。 キャラバンもなんとかうまくいき、 Base Campから、4,000mの大岩壁を、あほ面をしてながめております。 まぁ、 10/20頃にはびしっと決めますから、御期待。 そろそろ、この次あたり、 二俣さんも出ていかんと、 巷間では、 信大は遠征の負けぐせがついとると言うとりますよ。 一つどかっと勝ってやって下さい。 待ってますよ。 では。 9/14 (長谷からのPost Card)
9月17,18日、後輩と奥多摩雲取谷へ。 10月2日、 田中と丹沢水無川源次郎沢へ。 10月9~11日、後輩甲斐駒黄蓮谷右俣へ。
“Eastern view of Dhawalagiri (8,137m) “
長谷からのPost Card、 写真には、 昨年長谷が Party としての成功を喜びながらもくやし涙を流したであろう稜線が見える。
11日夜、 平尾さんから電話。
・・・・・・ 長谷が
呑みに来いという電話だと思った。 前から話していた。 東京の連中集めて平尾さんの家へ行こう、と。牛料理食べに行こう、 と・・・・・・、 呑みに来いという電話だと思った。
なにもせずいつものようになにもせず日々を送った。 走らず、登らず…..。
11月2日、午後。 やっと電報を打った。
・・・・・・カレノ コウドウリョクヲ オモウトキショウライガ
オシマレテナリマセン・・・
山で死ぬのはみっともない、という意見をひるがえすつもりは今でもないが……。
・・・・・・最初の個人山行ということで非常に楽しみにしていた。・・・・・・最初のハイペースがたたって、その時かなり疲れていた。 徳繁さんが道を探している間、ぼんやりとすわり込んでしまった・・・・・。(長谷 落合峠のこと 岳樺No.19)
11年前、 すわり込んでしまった長谷は、 それから立ち上り、 再び登り始め、 さらに歩き、登り。 走り、登り。呑み、登り。 笑い、登り。 しゃべり、登り。歌い、登り。 わめき、登り。 ・・・・・・、 登り。・・・・・・、登り。・・・・・・、登り。・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・。