追悼のことば 43年度卒 渡辺洋子
長谷君の遭難死を知ったのは、 朝何気なく開いた新聞の社会面でのトップ記事になっていたからでした。 あまり突然の事で信じられなかったのですが、 テレビのニュースで報道されるに従って現実のこととなり、 悲しい思いが全身を包み込んで来るのを禁じ得ませんでした。
思えば、一年前の57年10月にダウラギリⅠ峰登頂成功し、 11月19日高松グランドホテルで、登頂を祝う会”が盛大に催された時のことでした。金沢隊長以下隊員5名が壇上で紹介された時、 まだ凍傷の残っている両手を背中に回しながら、雪やけの顔でさかんにテレていた表情がとても印象に残っています。 また宴の最後の催しとして隊員達が買ってきたネパールのお土産品を会場の人達にくじ引きで当たるようになっていたのですが、 私達OBに手織りの敷物や壁かけ ベースキャンプのパネルなど特に当たった人が多かったのですが、その都度土産品を高く掲げ、良かったですねと言わんばかりに顔を輝やかせていたのが思い出されます。
きっと自宅で近所の子供達に野球を教えてあげていた時も、厳しくやさしいコーチとして活躍されていたことでしょう。
山男が山で一生の終止符を打つのは本望だと誰かの言葉にあるとはいえ、親の悲しみははかりしれないものだと思います。
今はただ冥福をお祈りします。